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別子銅山に招かれたラロックは、日本の手工業的な技術と、その技術を巧みに操る日本人の優秀さに驚きました。例えば、セオドライト(測量機器のひとつ)がなくても、竿と縄を使って測量し、和算という計算術でトンネルを掘る。熔鉱炉がなくても、和式の炉を使って90%以上の純銅をつくる。同時にラロックは、現状の技術の限界や技術革新の必要性を確信したとも言えます。
このラロックによって書かれたプランを参考に、広瀬は別子銅山の近代化に着手しました。まずは採鉱の近代化です。従来は細い坑道を歩いて鉱石を拾い集める人力作業でしたが、竪坑を掘りダイナマイトで鉱石を崩してトロッコで運び、積み替えることなくインクライン(傾斜道)にのって、そのまま製錬所に降ろす、という画期的な採鉱法を確立しました。
わずか20年で欧米列強に追いつく
製錬の近代化としては、かつての和式の炉をレンガ炉に変え、さらに鉄製の外壁を冷却水が循環するという高機能な「ウォータージャケット炉」を完成させました。燃料と原料を運ぶ運搬技術も、それまでの牛車から「別子鉱山鉄道」に進化させ、後に海抜1,000mを走る上部鉄道と平地の下部鉄道、それをつなぐロープウェイを造り、劇的な近代化を実現しました。日本初の複合鉄道です。
明治維新の100年前にイギリスで産業革命が起こり、日本は西洋に100年の遅れをとりました。しかし、別子銅山はわずか20年で西洋に追いつき、世界市場で負けない生産性の高い銅を生むことに成功しました。こうして猛スピードで別子銅山の近代化産業革命に成功した背景には、住友の世界規模での情報収集力と、世界に通用する技術力が存在しました。 【監修】住友史料館 副館長 末岡 照啓さん |