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広報誌 SEI WORLD 2009年

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SEI WORLD 2009年 10月号(vol. 385)

世界をつなぐ技術力~其の二~「別子銅山の近代化産業革命」

   グローバルに事業を展開する住友グループの世界を見渡す視野は、すでに創業当時の江戸時代から培われたものでした。優れた技術で世界とつながり、世界とのつながりによってさらに技術を磨いてきた400年。それはグローバル企業グループとしての歩みでもあります。

  9月号から11月号まで、計3回にわたり「世界をつなぐ技術力」をテーマにお届けしています。

  江戸時代、幕府の御用銅山として重要な役目を果たした別子銅山ですが、新政府のもと日本が近代国家への道を進み始めると、事業環境は一転しました。市場のグローバル化により、欧米列強との競争が始まったのです。そこで住友は銅山の近代化に着手。わずか20年で別子銅山の近代化産業革命を成し遂げました。それを可能にしたのは、住友が脈々と受け継いできたグローバルな視点と優れた技術力でした。

世界に学び近代化プランを作成

  江戸時代の日本は世界有数の産銅国でした。しかし、18世紀のイギリス産業革命によって大量生産技術が開発され、19世紀に北米で大銅山が発見されると、欧米の産銅が市場を席巻し、日本の銅の地位が低下しました。折しも、明治維新によって日本の産業も世界で競う必要に迫られました。

  この危機に立ち向かったのが住友家初代総理事・広瀬宰平でした。国際情報にも通じていた広瀬は、世界水準で大量生産すべく別子銅山の近代化を決断します。まず、別子銅を輸出しているフランスの商社を通して、フランス人技師を雇い入れました。フランスのパリ鉱山学校を優秀な成績で卒業したルイ・ラロックです。当時、明治政府が雇った「御雇い」外国人がいたことは知られていますが、民間企業が外国人を雇うことは稀でした。

劇的な技術革新で国際競争力を上げる

 

別子銅山目論見書ルイ・ラロック
(写真提供:住友史料館)

  別子銅山に招かれたラロックは、日本の手工業的な技術と、その技術を巧みに操る日本人の優秀さに驚きました。例えば、セオドライト(測量機器のひとつ)がなくても、竿と縄を使って測量し、和算という計算術でトンネルを掘る。熔鉱炉がなくても、和式の炉を使って90%以上の純銅をつくる。同時にラロックは、現状の技術の限界や技術革新の必要性を確信したとも言えます。

  このラロックによって書かれたプランを参考に、広瀬は別子銅山の近代化に着手しました。まずは採鉱の近代化です。従来は細い坑道を歩いて鉱石を拾い集める人力作業でしたが、竪坑を掘りダイナマイトで鉱石を崩してトロッコで運び、積み替えることなくインクライン(傾斜道)にのって、そのまま製錬所に降ろす、という画期的な採鉱法を確立しました。

わずか20年で欧米列強に追いつく

  製錬の近代化としては、かつての和式の炉をレンガ炉に変え、さらに鉄製の外壁を冷却水が循環するという高機能な「ウォータージャケット炉」を完成させました。燃料と原料を運ぶ運搬技術も、それまでの牛車から「別子鉱山鉄道」に進化させ、後に海抜1,000mを走る上部鉄道と平地の下部鉄道、それをつなぐロープウェイを造り、劇的な近代化を実現しました。日本初の複合鉄道です。

  明治維新の100年前にイギリスで産業革命が起こり、日本は西洋に100年の遅れをとりました。しかし、別子銅山はわずか20年で西洋に追いつき、世界市場で負けない生産性の高い銅を生むことに成功しました。こうして猛スピードで別子銅山の近代化産業革命に成功した背景には、住友の世界規模での情報収集力と、世界に通用する技術力が存在しました。

【監修】住友史料館 副館長 末岡 照啓さん

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