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広報誌 SEI WORLD 2009年

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SEI WORLD 2009年 11月号(vol. 386)

世界をつなぐ技術力~其の三~ 「近代化革命の原動力、海外留学派遣」

   グローバルに事業を展開する住友グループの世界を見渡す視野は、すでに創業当時の江戸時代から培われたものでした。優れた技術で世界とつながり、世界とのつながりによってさらに技術を磨いてきた400年。それはグローバル企業グループとしての歩みでもあります。

  9月号から11月号まで、計3回にわたり「世界をつなぐ技術力」をテーマにお届けしています。

  明治時代に入り近代国家の道を歩み始めた日本は、新政府のもと、欧米の知識や技術を吸収するために官費で学生を海外に派遣しました。そうしたなかにあって、住友は民間企業としては珍しい、社員を海外に派遣留学する取り組みを行っていました。その結果、当時の最先端技術を学び取った留学生が中心となり、別子銅山の近代化を進めたのはもちろんのこと、日本の産業界全体の近代化にもつながっていきました。

別子銅山の近代化を実現するために

塩野門之助(写真提供:住友史料館)

  明治維新以降、外国貿易が盛んとなり、別子銅山の経営環境は大きな転換期を迎えました。大量生産技術によって低コストで産出される欧米の銅が市場を席巻し、これに打ち勝つためには、別子銅山の近代化が欠かせないと、住友家初代総理人・広瀬宰平は決断します。そしてフランス人技師ルイ・ラロックを雇い入れ、次いでラロックの通訳として、外務省勤務の経験がある塩野門之助を社員に迎えました。

  鉱山技術に興味を持った塩野は、ラロックの近代化プランである目論見書を翻訳するには、本場フランスで技術を学びたい、そう広瀬に申し出ます。広瀬も近代化プランの実現には、フランス人の力を借りるのではなく日本人の力でやり遂げたいと考え、塩野門之助と増田好蔵の2人をフランス留学に派遣することを決めました。

知識と技術を学んだ5年間のフランス留学

 

  当時、近代化に力を注いでいた明治政府は、工部省をつくって官費により学生を欧米に派遣していましたが、民間の一企業が社員を海外派遣するのは非常に稀でした。政府の支援がないなか、リスクを背負ってでも世界の最新技術を学び別子銅山の近代化を実現したいというのが、住友の経営者と若い社員どちらにも共通した思いだったのです。幸いその頃は欧米各国でエンジニア教育が始まっていたため、住友から派遣された若い留学生も同時代的に欧米の最先端技術を学ぶことができました。

  明治9(1876)年4月、フランスに渡った塩野門之助は、ルイ・ラロックのアドバイスを受けて、家庭教師に幾何学や図学(製図学)を習い、合間にパリ大学のソルボンヌ校へ舎密(化学)や物理学の聴講にも出掛けました。その後、実学を学ぶためにサンテチュンヌ鉱山学校に入学。鉱山学を学び学位をとり、卒業後はフランス国内の鉱山で実地研修を重ねました。塩野が帰国したのは明治14(1881)年、日本を出てから、5年の歳月が流れていました。

世界で学んだ技術が国境を超えていく

  5年もの間、異国の地で懸命に技術を学び続けた塩野門之助、そして若い社員の成長をじっと待ち続けた広瀬宰平。人と技術を重んじる住友のこころが底流にあります。

  帰国後の塩野は、別子銅山の近代化に大いに貢献し、別子銅山初の自前の熔鉱炉の実現を成し遂げました。その後、別の鉱山へ移った塩野は日本初のベッセマー転炉を完成させ、日本の冶金工業の基礎を築きます。再び別子銅山に戻ってきてからは、四阪島製錬所の設計・建設に力を注ぎました。国境を超えて学んだ世界の技術は、国境を超える力を持った日本の優れた技術へと高められたのです。

【監修】住友史料館 副館長 末岡 照啓さん

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