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広報誌 SEI WORLD 2009年

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SEI WORLD 2009年 12月号(vol. 387)

[番外編]SEI子さん、住友ゆかりの地をめぐる~大阪編~

  住友と大阪との関係は、江戸初期にまで遡ります。住友家二代友以(とももち)が銅精錬と銅細工を家業とし、大阪に銅吹所(銅精錬所)を開設したのが、その端緒です。以来、大阪を中心に事業を展開、今回は住友の歴史の証人とも言える、施設・史跡をルポします。

まずは、徒にて大阪府立中之島図書館へ

 

大阪府立中之島図書館 正面入口

  正面入口は、ギリシャ神殿を思わせる造りで、ドーム屋根の緑青も落ち着いた色合いで、厳かな雰囲気を醸し出しています。少し圧倒されつつも中に入ると、吹き抜けの中央ホールです。上を見上げると、天井にはドーム、図書館なので当たり前ですが、静謐な空気のなか、二階へと昇ると正面に、何やら漢文が書かれた銅板レリーフがあります。これは建館寄付記というもので、いただいた図書館のパンフレットによると、「大阪は人口も多く、色々な物が揃っていて学問も盛んだが、図書館だけが無い、建物と図書購入費用を寄付して微力をつくしたい」という旨の住友家第15代住友友純(ともいと)の言葉が記されているとのことです。

  「これが微力?」と感心しつつ、その後、建物を一周すると歌碑を発見。創立50周年を祝い、住友ゆかりの歌人・川田順が『難波津の  まなかに植ゑし知慧の木は  五十年を經て大樹となりぬ』と詠んだもの。ここにも「住友」を発見、次の目的地、慶沢園へ。

大阪市の南玄関天王寺・慶沢園(けいたくえん)

慶沢園(美術館庭園)

  天王寺公園は、大阪のシンボル通天閣を望むことができる浪速情緒あふれる市民の憩いの場です。水と緑をふんだんに取り入れた賑やかな公園内を歩いて慶沢園を目指します。趣のある門をくぐると、目の前には大きな池、日常から隔絶された空間が広がっていました。

  慶沢園は、住友家茶臼山本邸庭園として、明治41年に木津聿斎の設計、小川治兵衛の作庭により約10年の年月をかけて完成した近代日本庭園とのこと。明治以降は住友家邸宅の敷地の一部となっていましたが、美術館の建設を目的に慶沢園とともに大阪市に寄贈しました。

 

茶臼山(墳丘への入口)

  先人は何を思いながらこの庭園を回遊したのだろう…。そんなことを思いながら池の周囲に整備された林道を歩くと、場所によって池の表情が、聞こえてくる音が違い、全身で庭園鑑賞を楽しむことができました。

  慶沢園に隣接する茶臼山は、かつて豪族の墓があり、大阪冬の陣では徳川家康の本陣に、大阪夏の陣では真田信繁(幸村)の本陣になっていたと言われています。墳丘頂上は、うっそうと茂る木々から光が差し込んでおり、えも言われぬ幽玄な雰囲気でした。

  大阪市立美術館には、日本・中国の絵画・彫刻・工芸など8000件をこえる収蔵品と、社寺などから寄託された作品があり、これらの中には国宝や重要文化財に指定された作品も多く含まれています!

最後は、大阪での事業の原点、住友銅吹所跡へ

住友銅吹所跡

  大阪長堀にある住友銅吹所跡は、現在公園になっています。江戸時代、大阪は銅精錬業の中心地で、この地にあった住友銅吹所は日本最大であり、日本の生産量の約1/3を精錬していたと言われています。残念ながら、そのようなパワフルな面影はもうありませんでしたが、展示されていた精錬炉に(ケース越しに)触れ、大阪における住友の事業の原点に出会いました。

  公園の東側には、明治12年に建てられた日本で初めての
ビリヤード場が残っています。洋風のアーチや円柱の飾りがあるかと思えば、屋根は瓦葺き。洋と和が調和を始めた文明開化期の建物を見て、ハイカラな住友の先人を想像してみました。

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