ブランドマーク井桁の誕生

住友の商標である「菱井桁」。江戸時代から住友のマークとして使われていました。これを商標としたのは、住友の屋号が「泉屋」、すなわち「泉」だったことに由来します。中国ではお金のことを「泉貨」や「貸泉」と呼び、湧きたつ泉は、富の象徴であり、それを表す井桁印は大変縁起の良いマークだったのです。
1884(明治17)年になると商標条例が公布され、商標が法律で認められるようになりました。これを機に住友は「住友」の名と「菱井桁」を一体化したものを商標登録。1913(大正2)年には、現在の「菱井桁」の寸法割合となりました。遠くから見てもすぐに分かる住友井桁、住友ブランドの象徴です。
井原西鶴の著書にも住友が登場

現在、企業のブランド力がビジネスの要であるように、江戸時代も「ブランド」が商いを支えていました。公金を預かる仕事をしていた住友は、今でいう県庁の機能を果たす大名屋敷に出入りしていました。屋敷に入るには鑑札があり、住友は通行手形として「菱井桁」を使用。その社会的信頼は確固としたものだったのです。 こうした住友のブランド力は、当時のメディアにも紹介されています。江戸の経済と町人の暮らしをつぶさに描いた井原西鶴の著書『日本永代蔵』です。1688年(元禄元年)に出版されたこの本のなかで、住友は他の2つの豪商と並んで「面白いベンチャー企業だ」と紹介されています。ベンチャーとは、それまで誰もやらなかったビジネスに取り組んでいる企業のこと。南蛮吹きの技術で銅の精錬法を確立し、そのブランド力でエンジニアを集め、日本各地で鉱山開発を進めていた住友は、希代の文化人・井原西鶴にも注目されていたのです。
住友井桁が象徴する400年の信頼の重み
21世紀の現在、ビジネスの動向が音楽や演劇などのカルチャーシーンに影響を与えていますが、江戸時代も同様、成長を続ける住友が芝居や上方落語に登場しています。例えば、大坂の半四郎芝居に『予州銀ばこ白鼠』『別子長者三番つづき』など、住友が別子銅山で栄えたことを題材にした演目が現れました。上方落語では、『次の御用日』や『佐々木裁き』といった演目に住友の店の様子が出てきます。「菱井桁」が象徴する住友のブランド力が、広く江戸の社会に浸透していたことがうかがい知れます。
以来いくつもの世紀を超え、住友電工では現在、自社の製品を出荷する際には、住友井桁の印を製品に押しています。400年続くブランドへの信頼をお客様にお約束すると同時に、ブランドが持つ重さと責任を自らの心に刻み続けています。
【監修】住友史料館 副館長 末岡 照啓さん |