住友の事業精神を伝え続けた女性
江戸時代も今も、社会の最小単位である「家」をマネージメントするには女性の力が欠かせません。17世紀の寛永年間に住友政友が京都に書物と薬の店を開いたことから始まった住友の歴史。その屋台骨を支えた数多くの女性がいました。筆頭が住友政友の義理の娘である亀(以下、法名の春貞と称す)という女性でした。別子銅山の繁栄を見届けて89歳で亡くなるまで、住友のこころの礎である事業精神を子に孫に伝えた人です。
世代を超えて初代の教えを守り続ける

住友家の初代・政友には長男と長女がおり、長男は春貞と結婚し、本屋と出版業を継ぎました。長女には政友自身の姉の息子、すなわち甥の友以(とももち)を婿として迎え、泉屋住友という銅製錬の家を興しました。ところが長男と長女が相次いで亡くなったことから、遺された友以と春貞が結婚。この夫婦の間に生まれた友信が後に住友家三代となりました。
春貞は聡明な女性で、初代政友をたいへん尊敬していました。政友も春貞を信頼し、春貞の求めに応じて遺言を書き残します。それが「文殊院遺誡」であり、住友のこころの礎ともいえる言葉が綴られていました。「正直・慈悲をもととして生きなさい」、「この世は夢幻であるから、この世にいる間は徳を積みなさい」。春貞は初代の遺言を夫である2代目友以と共有し、息子に、そして孫に伝えていきました。住友の事業精神のDNAを伝えた春貞は、住友の理念の継承者ともいえるでしょう。
住友の事業を支えた女性たち
住友事業の根幹・別子銅山の歴代の支配人である広瀬宰平と伊庭貞剛。この2人の妻も、住友の事業を支えた女性です。広瀬の妻・幸は、広瀬の北海道視察に馬車で同行し、道内の馬による移動もものともせず、また欧米への視察にも同行しました。伊庭の妻・梅子は、貞剛から「決死の覚悟で別子の煙害騒動にあたるので、もしもの時は老母や子供のことを頼む」と単身赴任を告げられた際、自分の悲しみをかくして「私がいます、大丈夫です」と答えました。住友の事業が国益の事業であることを十分に理解し、家を支えたのです。
時は移り、21世紀。住友電工グループでは多くの女性社員が活躍し、海外の工場では女性従業員が8割以上を占める会社があります。育児制度や介護制度の整備を進め、すべての社員が仕事(ワーク)もライフ(生活)も充実できる職場環境づくりに取り組み、女性のチカラが発揮されています。
【監修】住友史料館 副館長 末岡 照啓さん |