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広報誌 SEI WORLD 2010年

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SEI WORLD 2010年 04月号(vol. 391)

リーダーたちの肖像~其の一~
「イノベーションを実現した初代総理事/広瀬宰平」

  住友には、幕末から明治、大正にかけて事業の基盤を固めた3人の総理事がいます。経営のトップリーダーとして力を尽くしたこの3人の人物伝を、4月号から6月号でご紹介します。

  戦前の住友では、当主に代わって事業を統括する経営のトップリーダーを「総理事」と呼んでいました。なかでも初代の総理事である広瀬宰平は、江戸末期から明治の激動期に住友の事業の基礎を創り上げた人物です。圧倒的なリーダーシップを発揮し、次の世代へとつながるイノベーションを成し遂げました。

少年期に親元を離れ、別子銅山へ

広瀬 宰平(写真提供:住友史料館)

  広瀬宰平は文政11(1828)年、現在の滋賀県野洲市に生まれました。当時の日本では長子以外は家を出る宿命にあり、次男の宰平も別子銅山勤務の叔父に連れられ11歳で住友家に奉公しました。望郷の念を抱きながら、サラリーマン生活を送る宰平。そんな宰平にとっての幸運は、別子銅山には採鉱・製錬・運搬のすべての技術と、会計を含む経営その両方を学べる環境があったことです。さらに京都に漢学者の叔父がおり、今でいう通信教育で漢学を学びました。後に発揮されるリーダーシップは、こうした地道な努力によって培われたものなのでしょう。

産業革命を興し、住友家法を制定

  38歳で別子銅山の支配人に、55歳で初代の住友家総理代人(総理事)になった宰平は、事業の基盤を着実に固めていきました。最も大きな仕事が、別子銅山の産業革命です。宰平は、開国後の日本が世界市場で競うには、欧米同様にイノベーション(技術革新)が欠かせないと判断したのです。一民間企業でありながら外国人技師を雇い入れ、欧州に社員を派遣し、別子銅山の近代化を実現しました。

  一方で企業の統治システムにも着手しました。創業者と経営者の関係を明確にし、資本と経営を分離。会社はオーナーだけのものではなく、働く人すべてのものであり、信用と確実を重んじ、浮利を追わないという住友家法を制定しました。今の住友の原型を作ったのです。

国家・主家に忠誠を尽くした生涯

  さらに宰平はいくつかの事業を興すと同時に、財界活動を通して国家の経済発展にも力を尽くしました。海運の近代化を進めるべく大阪商船会社を設立し、大阪商工会議所の副会頭などを歴任。大阪財界の立役者、五代友厚が「広瀬は私の左右の腕である」と言ったほど、女房役として活発に活動しました。

  激動の幕末から、デフレやインフレが続き経済変動が激しかった明治時代。日本の国際競争力が脆弱な時期に宰平は事業を守り抜きました。そして亡くなる前年にこんな言葉を残しています。「逆命利君、これを忠という」。宰平の人生を貫いたのは国家や主家への忠誠だったのです。幕末の志士たちに通じる、熱くゆるぎない心でした。

 
当時の時代背景

1828

シーボルト事件

1837

大塩平八郎の乱

1853

アメリカの使節ペリーが来航、浦賀で開国を要求

1859

安政の大獄

1860

桜田門外の変

1862

孝明天皇の妹和宮が将軍家茂と結婚、公武合体運動がすすめられる。

1863

薩英戦争

1864

長州征伐(第一次)

1867

大政奉還

1868

明治維新

1871

廃藩置県

1881

国会開設の詔

1885

内閣制度ができ、伊藤博文が初代の内閣総理大臣に

1889

大日本帝国憲法が公布

1894

日清戦争

1902

日英同盟

1904

日露戦争

1905

ポーツマス条約

【監修】住友史料館 副館長 末岡 照啓さん

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