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広報誌 SEI WORLD 2010年

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SEI WORLD 2010年 07月号(vol. 394)

[番外編]SEI子さん、住友ゆかりの地をめぐる~別子銅山編~

4月の中旬に別子銅山、四阪島を訪れました。今月号では、別子銅山についてご紹介します。

現在の住友グループの発展の源である別子銅山は、1691年、住友家4代、住友友芳の時に発見、開坑され、以降1973年の閉山まで282年間にわたり住友が経営してきた日本屈指の銅山です。標高1,200mの山中から掘り始め、銅を追い求めて海面下1,000mまで実に2000m以上も深く掘り進め、産出した銅量はのべ70万トンを超えたと言われています。

  愛媛県新居浜市にある別子銅山は、足尾銅山(栃木)・日立銅山(茨城)と並ぶ、日本三大銅山の一つでした。現在もたくさんの産業遺構が残り、「東洋のマチュピチュ」として最近は観光地として注目を集めています。私も念願かなって別子銅山登山(日浦登山口~銅山峰)に挑んできました。

  当日は、銅山峰の南側標高800mの日浦登山口から標高1300mの銅山峰まで登り、北側(新居浜市側)の東平(とうなる)方面に下りる予定でしたが、季節外れの雪のため日浦登山口へ引き返すルートとなりました。

  整備されている登山道を登って行くと、醸造所跡の煙突や接待館跡のレンガ作りの塀、小学校や劇場跡の石積みなどが現れてきます。この山中には、かつて鉱山労働者やその家族など1万人を超える人々が暮らしていたとのことです。谷間の急斜面の狭い土地に鉱山施設や住宅などが建ち、山中に町が存在したわけです。今は静かな森にかえっていますが、当時の面影はこれら産業遺跡に見ることができます。

  また、別子銅山は、江戸時代からの長期間の採鉱に加え、明治以降の鉱山の近代化により燃料用木材の伐採が増え、また銅の製錬で発生する亜硫酸ガスによる煙害の影響で森林が荒廃したという歴史があります。別子銅山二代目支配人(後の住友家二代目総理事)伊庭貞剛は「別子全山を旧(もと)のあをあをとした姿にして、之を大自然にかへさねばならない」との信念のもと、年間100万本を超える本格的な植林事業を断行、当時から環境問題に取り組んでいました。現在は青々とした山がよみがえっており、昔の荒れ果てた風景は、全く想像できませんでした。荒廃してしまった急峻な別子銅山での植林は、相当な難事業であったことでしょう。

ダイヤモンド水

  銅山峰の途中には、ダイヤモンド水と呼ばれる湧き水があります。ダイヤモンド水はボーリング探査の時に噴出した湧水で、こんこんと湧き出ています。今も地中にダイヤモンドを散りばめたロッドが残っていることから、ダイヤモンド水と呼ばれるようになったとのこと。冷たい水で乾いたのどを癒し、一息つくはずが、当日は寒さに震えていました。

  さらに進むと、眼下にコの字形の石垣が見えてきます。ここは蘭塔婆と呼ばれ、1694年に発生した大火災で亡くなった132名の犠牲者を供養した墓所です。住友繁栄の礎を築いた故人に、300年以上の時を経て、改めてご冥福をお祈りしました。

  別子銅山最初の坑道「歓喜坑」を過ぎると、銅の鉱脈が地表に現れた大露頭があります。歌人山口誓子が「大露頭赭(だいろとうあか)くてそこは雪積まず」と詠んだとおり、辺り一面の雪景色にもかかわらず、大露頭は「雪積まず」でした。

蘭塔婆   歓喜坑   大露頭

  銅山峰には往き倒れの無縁者を供養しているお地蔵様があり、お米とお線香をお供えしました。銅山峰から北側に下った東平方面にも多くの産業遺跡が残っていますので、次回天気の良い日に訪れたいと思いながら、今回は日浦登山口へと引き返しました。

 
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