愛媛県新居浜市にある別子銅山は、足尾銅山(栃木)・日立銅山(茨城)と並ぶ、日本三大銅山の一つでした。現在もたくさんの産業遺構が残り、「東洋のマチュピチュ」として最近は観光地として注目を集めています。私も念願かなって別子銅山登山(日浦登山口~銅山峰)に挑んできました。

当日は、銅山峰の南側標高800mの日浦登山口から標高1300mの銅山峰まで登り、北側(新居浜市側)の東平(とうなる)方面に下りる予定でしたが、季節外れの雪のため日浦登山口へ引き返すルートとなりました。
整備されている登山道を登って行くと、醸造所跡の煙突や接待館跡のレンガ作りの塀、小学校や劇場跡の石積みなどが現れてきます。この山中には、かつて鉱山労働者やその家族など1万人を超える人々が暮らしていたとのことです。谷間の急斜面の狭い土地に鉱山施設や住宅などが建ち、山中に町が存在したわけです。今は静かな森にかえっていますが、当時の面影はこれら産業遺跡に見ることができます。
また、別子銅山は、江戸時代からの長期間の採鉱に加え、明治以降の鉱山の近代化により燃料用木材の伐採が増え、また銅の製錬で発生する亜硫酸ガスによる煙害の影響で森林が荒廃したという歴史があります。別子銅山二代目支配人(後の住友家二代目総理事)伊庭貞剛は「別子全山を旧(もと)のあをあをとした姿にして、之を大自然にかへさねばならない」との信念のもと、年間100万本を超える本格的な植林事業を断行、当時から環境問題に取り組んでいました。現在は青々とした山がよみがえっており、昔の荒れ果てた風景は、全く想像できませんでした。荒廃してしまった急峻な別子銅山での植林は、相当な難事業であったことでしょう。
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