
四阪島は愛媛県新居浜市の北方沖合約18㎞にある島で、美濃島、家ノ島、明神島、鼠島の四島の総称です。
かつて、ここには銅製錬所がありました。四阪島に銅製錬所を建設したのは、第2代住友総理事 伊庭貞剛です。当時、新居浜の製錬所から排出される硫黄分を含んだ煙(亜硫酸ガス)が、農作物に悪影響を与える煙害が大きな問題となっており、伊庭は、煙害問題の根本的な解決を目指し、製錬所を四阪島へ移転することを決意しました。1897年に無人島の家ノ島で製錬所の建設が始まり、また、美濃島には社宅、学校、病院、共同浴場、商店、飲食店、劇場などが建てられ、大正時代には約5000人もの人々が住んでいたそうです。製錬所は1905年に操業を開始しましたが、問題の亜硫酸ガスは風に乗って新居浜一帯に達し、かえって被害は拡大してしまいました。そこで、賠償金の支払いをする一方、亜硫酸ガスを出さないようにする研究を継続し、1939年、操業開始から34年の年月を経て、煙害を克服しました。長い年月はかかりましたが、環境問題・公害問題に正面から立ち向かい、これを見事に解決したのです。1978年には、銅製錬が終了し、その後人々は島を離れ、美濃島は静かな島にかえっています。家ノ島の大煙突は今でも当時の製錬所の面影を伝えています。

当社と四阪島の関わりは、1922年に新居浜から四阪島までの21㎞を結ぶ当時としては世界最長の海底電力ケーブルを当社(当時:住友電線製造所)が製造・布設したという歴史があります。20㎞以上も離れた遠隔地への海中送電は、当時の技術では不可能とされていたため、この計画は長い間見送られていました。ちなみに、それまでは、サンフランシスコの6.7㎞のケーブルが世界最長だったとのことです。
1918年に別子鉱業所は住友電線製造所に海底送電線の製造・布設の研究を依頼しました。そこで、海外の水底ケーブルなどの調査・研究を進め、また、海底ケーブル分野の製造実績を積み重ね、1922年に製造・布設を成し遂げたのです。その実績は当社の海底ケーブル事業の発展へとつながりました。
新居浜市では、別子銅山記念館と広瀬歴史記念館を訪れました。 |