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広報誌 SEI WORLD 2010年

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SEI WORLD 2010年 11月号(vol. 398)

リーダーたちの肖像~其の六~「経営の合理化を図った六代目総理事/小倉正恆」

  大正から昭和にかけて住友が近代企業へと発展を遂げた時期に、経営のトップリーダーをつとめた総理事たちがいます。これら総理事たちの人物伝を毎号ご紹介します。

  五代目総理事・湯川寛吉に続いて住友の経営を担ったのが、六代目総理事・小倉正恆です。明治から大正、昭和と3つの時代を通して住友で活躍し、総合企業集団へと成長した住友の経営の合理化を進めたトップリーダーです。

住友の事業精神に共感した文学青年

小倉正恆(1875~1961) 小倉正恆銅像(日新電機(株)所蔵)

  北陸の小京都・金沢市。豊かな文化が醸成されたこの街で、小倉正恆は明治8(1875)年に生まれました。小学校で泉鏡花や徳田秋聲と同級生だった小倉は、漢文を学び、読書を愛し、文学青年として成長します。大学卒業後は内務省に入省し、山口県に赴任します。しかし、青年官僚の仕事は、高位高官への接待や地域行事や宴会への出席。天下国家に携わる仕事をしたいという志は打ち砕かれてしまいます。ちょうどその頃、金沢の学校で先輩だった後の第三代総理事・鈴木馬左也を通して住友を知ります。当時の経営トップだった伊庭貞剛の人柄に触れ、住友の事業精神に共感した小倉は明治32(1899)年、内務省を辞め、住友への入社を決意しました。24歳の時です。

改組を行い株式会社住友本社へ

  入社翌年、欧米出張のチャンスを得た小倉は、当時の総理事であった伊庭に「住友のために洋行させるのではない、広く世のためである」と言葉をかけられ、奮い立ちます。欧米で多くを学んだ小倉は、大正2(1913)年には総本店支配人に就任。各店部から上がってくる重要な事柄をまとめ、総理事への決裁案を作成する仕事を担当しました。この仕事を通して住友の事業の全体を見ることができ、トップリーダーとしての素養を磨いていきました。

  昭和5(1930)年、ついに小倉は第六代の総理事となります。以降、住友の傘下企業の再編など事業の合理化を進め、昭和12(1937)年には、住友合資会社を株式会社住友本社に改組。住友をより強い組織へと導いていきました。

人間を磨くことを説き次世代を育成

  小倉が終生恩人として仰いだのが第二代総理事の伊庭です。「いつかは国の役に立ちなさい」という伊庭の言葉を支えに、トップリーダーへの道を歩んでいきました。だからこそ国家にとって有能な人材を育てるため、小倉は新入社員に向け、こう訓示を垂れます。「まずは人間を磨くこと。人として立派であることを住友は求める」と。その言葉を聞いた若手社員は深く心を打たれ、やがて次代の住友を支える人材へと育っていきました。そして小倉自身も昭和16(1941)年に総理事を辞任した後、第二次近衛内閣の国務大臣に迎えられ、国政でも力を発揮しました。

  こうして小倉の代で、電線、金属、化学、銀行など連系会社13社からなる総合企業集団へと発展した住友の経営は、やがて最後の総理事の手へとゆだねられることになります。

 

小倉正恆の揮毫による扁額「応心」

応心とは「荘子 天道篇」に書かれている技術の真髄に関するエピソードから採られた言葉です。当社では、研修に打ち込んで技能者としての基礎をしっかり築きあげるとともに、業務にひたむきに取り組んで欲しいという願いを込めて、SEIユニバーシティ・テクニカルアカデミーに掲額しています。

 

【監修】住友史料館 副館長 末岡 照啓さん

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