2007年10月30日 09:13
安全&環境について(10月の社内メッセージより)
松本です。
下期がスタートするにあたって、従来から最重点課題の一つとして取り組んでいる「安全」「品質」に関する全社運動について、今後の取り組みについて、改めてお願いをしました。
社内ネットワークが閲覧可能な社員は、既にその内容を熟読玩味してくれたと思いますが、ブログでもかいつまんで伝えておきたいと思います。
まず安全についてですが、「安全は全てに優先する」の風土づくりをめざし、今年度こそは“完全ゼロ災を達成する”という強い気持ちをもって安全活動の推進をお願いしました。
しかしながら、今年度上期の傷害事故発生件数は、改善度合いが薄く、件数では、昨年度を上回るという非常事態になっています。8月以降は、かかる状況をストップさせるべく、「傷害事故防止キャンペーン」でビラやワッペンの直接配布を通じて、FACE TO FACE のコミュニケーション強化による、傷害事故の発生防止をお願いしましたが、過去に発生した事故と同様の事故が繰り返し発生し、安全に関する様々なルールが、機能していない状態と言えます。
安全についての緊急強化対策開始以降4年目を迎え、マンネリ化を防ぐ目的で、管理監督者には、現場で働く社員の感性に響き続ける活動をお願いします。
私は巡回と対話が一番大事だと考えています。管理監督者は、1日3回の工場巡回を目指して、資源投入、権限委譲はどんどん実施してください。
対話により、危険作業や不安全設備等を洗い出し、間髪をいれずに対策をお願いします。事故が発生した場合には、「ナゼナゼ分析」を繰り返し、不具合は勿論、不安全行動を行った背景にまでメスをいれ、徹底的な再発防止をお願いします。
本年の全国労働衛生週間のスローガンは、「心にゆとり からだに余裕 みんなでつくる 健康職場」でした。皆さん一人一人が健康管理を再認識し、当社の企業行動憲章にもあります「働きやすい職場環境の構築」に努めていただきますよう強くお願いします。
次に品質についてです。2006年度から2年間の活動としてQR-1運動フェーズⅡに取り組んできましたが、いよいよこの下期が最後の半期となります。
07年度上期の品質成績を振り返りますと、わたしはクレームというものは、本来起こしてはならないと思っていますが、理想のゼロという目標にはまだまだほど遠いのが現状です。
設計段階からの問題も多く、改めて過去のトラブルのレビューを行い、製造段階では異常処置作業が決められたルール通りに実施できているか、再確認するよう強く要望します。
クレーム件数や全ロスは改善していますが、各部門とも下期活動のスタートにあたり、設計段階から製造段階の全工程にわたり、今一度、重要課題、共通課題に抜け漏れが無いか確認した上で、ラインとスタッフが一体となってクレームゼロ、不良ゼロの「絶対ゼロ」にこだわる活動を愚直に展開して下さい。
この下期は、部門長の強力なリーダーシップの下、目標に向かって粘り強く活動することをお願いします。
「安全」、「品質」に関する全社運動は「住友事業精神」と「住友電工グループ経営理念」に含まれる最重要課題の一つです。グループ一丸となってこのことを理解し、12ビジョン達成に向けて「Glorious Excellent Company」としての礎を築いていきましょう。
松本正義|
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2007年10月26日 09:36
2000年の社報から<2>
2000年の社報から<1>の続きです。
最後に付け加えてお話ししたいと思います。
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住友電工社報より
次に、博士は企業存立の大前提として、住友の「伝統的精神は国家的であり奉仕的」と言及する。「国家的」とは、現代ならば、さしずめ「社会的」と言い換えることができようか。現在の企業環境からすると、時代錯誤的でもありユートピア的に響くかもしれない。
だが、企業目的の大前提が転々とする昨今、この種、骨太で歴史の試練を受けてきた指導的精神に新しい息吹を吹き込み、異文化の優れた精神を注入する必要がある。堅実と安逸を取り違えることなく、使命感をもって、より強固で発展性を秘めた会社基盤を創成していくことが、私ども現役部隊に課せられた大きな責務といえる。
祝辞は、最後に「・・・(人格者が)工業道徳に重点を置いてすれば・・・上下同心一体となり誠心誠意各々その職務を忠実に遂行することになるから良品を安価に製造し得る(中略)住友の伝統的精神を体せられ工業道徳を重んじ一致協力して会社の為に尽瘁されんことを切望して止みませぬ」と結ばれている。
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ここまで読んで頂いて、皆さんどのように感じられたでしょうか。もちろん相当に以前の祝辞ですので、表現に古色蒼然とした部分はありますが、本多博士の凛とした姿勢、時代の波にも身動ぎもしない精神には、きっと皆さんも賛嘆し、そして心の深い部分で共感してもらえたのではないでしょうか。
「工業道徳」という今や使うことのない古めかしい言葉ですら、我々住友に従事するものには、二条からなる営業の要旨以外に住友の事業精神を表すとする「技術の重視」「人材の尊重」「企画の遠大性」そして「自利利他、公私一如」といった言葉を意識すれば、すっと頭にしみ入るような気がしています。
博士が危惧した「工業道徳の観念に乏しい」危機的状況は、以前のバブル期や昨今のマネーゲーム全盛期に残念ながら日本という国にも蔓延し、大きな爪痕を残しました。
「金さえあれば」と狂奔するIT成金の何と醜かったことか!
不易流行という言葉がありますが、当社グループにとっては、本多博士の祝辞の精神、そして「住友の事業精神」に沿って事業を行うことは『不易』であることを、是非とも銘記して頂きたいと思っています。
松本正義|
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2007年10月23日 11:02
グロリアス エクセレント カンパニー表彰式
当社グループの関係会社は、連結子会社だけでも国内外併せて270社に及び、その従業員だけでも13万人を越える状況であります。手前味噌ですがそれぞれに特色もあり、ユニークな製品、サービスを提供するとともに、雇用も含めて広く社会に貢献していると自負しています。
わたしは、当社グループの理想像、あるべき姿を「Glorious Excellent Company」と定め、その実現に向けてひたむきに努力していくつもりであることは何回も申し上げてきましたが、これにはグループ各社の一致協力が必要であります。
そこで、少し前の話になりますが、当社グループの中で、利益、ROA等々の経営指標、そして安全成績、コンプライアンス等も含めて目標達成の状況を公正に評価した上で、優秀な成績を収めたと認められた会社について、一体感と求心力醸成の意味も込めて表彰を行うことを本年より制度化し、グロリアス エクセレント カンパニー表彰式と名付けることとしました。
第一回目には、18社が優秀な成績と認められ、そのトップ参加のもとで表彰式を開催しましたが、受賞社の半数を超える11社が海外関係会社であり、グループのグローバル経営が伸展していることを改めて再認識しました。
全世界の住友電工グループ社員が、経営理念やビジョンを共有し、グループのさらなる成長に向かって一生懸命努力していることを心の底から嬉しく思っておりますし、今回の受賞社はそういった中から、いわば代表として選ばれたわけであり、今後一層表彰を競って各社レベルの高い競争となることを大いに期待しています。
表彰式で一つだけ残念に感じたことを最後に。
各国各社から社長が駆けつけてくれたのですが、残念ながら全員男性、そして掲載写真は米国のWyatt社長の表彰風景にしましたが、他は日本人の社長でありました。当社グループは、グローバルマネジメントについて、種々の対策を取り積極的に進めようとしています。現地化を進め多様な人材が表彰式に臨んでくれる経営環境を整えていくことが重要と思っています。
松本正義|
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2007年10月19日 08:48
2000年の社報から<1>
松本です。
皆さん、特に当社グループ社員の皆さんにブログで伝えたいことはいくらでも頭に浮かんでくるのですが、時間の制約もあって、なかなか文章にすることが出来なくてもどかしいことも多いですね。なんとか最低週に1度は更新しようと思っています。
今回は、机の中から出てきた2000年7月号の住友電工の社報をそのまま、掲載してみましょう。わたしが常務取締役として送ったメッセージです。
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住友電工社報より
住友グループの一員であるトーキン(株)を訪問した折、歴史を感じさせる黄ばんだ四枚の原稿を拝見した。KS鋼(※1)の発明者、本多光太郎博士の自筆の祝辞である。行間の推敲に呻吟も伺える貴重な物で、そこに現代社会にも通じる普遍性と不易性を発見し、感銘を受けた。この祝辞は、前身の東北金属工業(株)の竣工式(昭和13年)で述べられたものである。
この会社は国家の要請を受け、官学産の協力のもと、通信用の材料及び機器の製造販売を目的として設立された。住友家とは関係の深い、博士の金属材料研究所(※2)が電気通信研究所(※3)と共に全面的に技術援助を行った。
国家存亡の危機感漂う当時と、六十有余年経た現在では、取り巻く社会経済環境は同質とは言い難い。だが、大きな構造変革を迫られている今だからこそ、先達の言に耳を傾け、あるべき基本精神を心して問い直すことが肝要ではなかろうか。博士の原稿からキーワードを拝借し、思うところを述べてみたい。
まず、日本の企業が置かれている現状を分析し、極端な捉え方、とのそしりを覚悟で敢えて表現すれば、以下の如きか。
精神的堕落と危機感欠如をもたらした豊かな経済大国日本では、「工業道徳」が欠如し、「自己の従事する工業が社会に対して如何に重要な関係を有するかを理解し、自己の責任の重大なるを自覚し陰日向なく忠実に働き優良なる製品を安価に製作し得る良品廉造」への気迫に欠けている。それは、「従業員の技能を重んじその人格を顧みない者」を輩出し、「工業道徳の観念に乏しい」危機的状況が混沌として忍び寄っている社会、と表現できる。
グローバル化により、異文化異体制から波状的に未曾有の規模で挑戦を受けている現在、組織において各人が置かれた状況を正確に受け止め、会社の運命を決定していく「核」である、との明確な自己オリエンテーションを実行すべきものと思う。
※1 |
強力磁石鋼。大正5年創立の臨時理化学研究所第二部(現 金属材料研究所)の寄付者、住友吉左衛門の頭文字をとったもの。 |
※2, ※3 |
共に東北帝国大学(現 東北大学)付属の研究所 |
松本正義|
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2007年10月16日 10:04
産経新聞「関西人国記」その4
産経新聞大阪本社版夕刊「関西人国記」【4】
住友事業精神 求心力高め会社を一つに
「ちょっと来てくれ。昼飯でも食おうか」
平成16年4月、当時の岡山紀男社長(現会長)にこう声をかけられました。
何だろう…と思いながら社長室に行くと、「私はもう辞めるから、次は君がやってくれ」。
1年前に専務になったばかりです。ちょうど海外出張が入っていたので「少し考えさせてください」と保留しました。
ただ、「逃げるわけにはいかない」という覚悟はありました。不安はありましたが、腹を決めて帰国後、「引き受けさせていただきます」と答えました。
社長に就任した16年6月は、ITバブル崩壊の余韻が色濃く残っていた時期です。光ファイバーなど情報通信事業に注力し過ぎていたわが社は、15年3月期に最終赤字に転落。分社化や大規模な配置換えなど事業の構造改革を急いでいました。
これらは当然必要な改革だったのですが、会社の社員に対する求心力が低下するという“負の結果”ももたらしました。
「このままでは会社がバラバラになる」
社長になった私は、強い危機感を抱きました。もう一度会社が一つにまとまるにはどうすればいいのか。こう考えて打ち出した全社的な目標が「グロリアス エクセレント カンパニー」構想です。
構想では、売上高や利益といった業績の数値目標、そして1つの事業に偏らず、主力5事業でバランス良く稼ぐ「ポートフォリオ」経営を示しました。
それに加え、社員の心のよりどころとして「住友事業精神」を掲げたのが大きな特徴です。
住友事業精神は、住友家の家祖、住友政友が記した商いの心得「文殊院旨意書(しいがき)」に発するもので、400年にわたり脈々と受け継がれてきました。「信用を重んじる」「浮利を追わない」「技術を重視」「人材を尊重する」というのがその要諦です。
この精神を求心力の源にしようと考えました。17年には新たな研修制度「SEIユニバーシティ」をスタートさせ、社員への浸透を図っています。私自身もことあるごとに、自分の言葉で社員に語りかけています。
最近では社員の意識も変わりつつあり、まとまりが出てきたように思います。「住友電工が好きだ」という社員が増えてきたのはうれしいですね。
売上高の拡大、新製品の開発、販売強化など、競争が激しさを増す中で、やるべきことはまだたくさんあります。
陸上でマスターズ選手権に出場したい、社会貢献的な活動もしたい…などと個人的に挑戦したいこともありますが、実現はもう少し先になりそうですね。
(終わり)
<本内容は、産経新聞大阪本社編集局経済部の許可を得て、記事内容を転載したものです。別途掲載の本ブログのポリシーに拘わらず、本内容については、全部または一部について一切の転載や二次利用をお断りします。>
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2007年10月12日 09:19
産経新聞「関西人国記」その3
産経新聞大阪本社版夕刊「関西人国記」【3】
事業の立て直し 開発力強化しシェア拡大
昭和53年に米国駐在から帰国した後は、切削工具を扱う粉末合金事業部で海外の販売網整備に力を入れました。
当時は主に商社と組んで販売していたのですが、それでは思い切った事業戦略が立てられない。顧客のニーズを直接吸い上げ、営業や製造戦略にまで生かすには、自社の販売網を持つことが不可欠です。そう考え、帰国後すぐに計画案を作り、上司に提言しました。
ただ、人繰りやコストなど、企業としてはリスクを伴う決断となります。案の定二の足を踏まれ、「駐在員は帰国後、2、3回程度は何かしら提案してくるものだ」と言われてしまいました。
「本気ではない」と思われたんでしょうね。ただ、スウェーデンのサンドビック社などライバルは本気で海外強化に乗り出しており、「このままでは太刀打ちできない」という強い危機感がありました。信念を曲げずに提言し続けた結果、何とか実現に向けて動き始めました。
その後、7年間のロンドン駐在を経て、平成4年、自動車用の組み電線「ワイヤーハーネス」を扱う自動車企画部長に就任しました。
ワイヤーハーネスは自動車の情報系統や電気系統を担う重要な部材で、関連事業はわが社の稼ぎ頭になっています。ただ、私が担当になったころは「ローテク製品」として重視されておらず、世界シェアも7~8%と低迷。「リストラの対象」と明言されたことすらありました。
ただ、日本の自動車メーカーが世界で販売を拡大しようとしていた時代です。やりようによっては必ず伸びる、という確信はありました。
では、事業をどう立て直し、拡大していくのか。技術開発力の強化とM&A(企業の合併・買収)によるシェア拡大が欠かせないと考えました。
自動車のハイテク化は著しく、それを支えるワイヤーハーネスにも、より細く、より多くの情報が流れる高性能な製品が求められていました。そのため社内の猛反対を押し切り、平成7年に「ハーネス総合技術研究所」(現オートネットワーク技術研究所)を設立しました。
一方、M&Aでは、国内外のライバル社などを積極的に買収し、販路や市場の拡大を進めました。厳しいコスト競争に打ち勝つには、販売量の確保が必要だからです。
これらの施策は見事に当たり、ワイヤーハーネスの世界シェアは現在約21%。平成24年までに25%まで引き上げたいと考えています。
<本内容は、産経新聞大阪本社編集局経済部の許可を得て、記事内容を転載したものです。別途掲載の本ブログのポリシーに拘わらず、本内容については、全部または一部について一切の転載や二次利用をお断りします。>
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2007年10月10日 08:47
産経新聞「関西人国記」その2
産経新聞大阪本社版夕刊「関西人国記」【2】
シカゴ駐在 「営業のいろは」大きな糧に
物作りの仕事に携わりたい、関西に戻って住友系の企業で働きたい、という希望があり、就職先には住友電気工業を選びました。一橋大の陸上競技部の人脈で、役員を紹介してもらったのも理由の一つです。
入社後は主力事業の一つ「粉末合金事業部」に配属されました。鉄などの金属を加工するための切削工具を作る部署で、自動車メーカーなどが主な取引先です。 住友電工では当時、自動車大国だった米国での拡販を目指しており、昭和48年、28歳の私が2代目駐在員としてシカゴに駐在することになりました。
海外旅行も含め、初めての海外経験です。「気持ちさえあれば物は売れる。心意気で行け」といって送り出されたのですが、最初の2年間は言葉が分からず、頭が痛くなりましたね。シカゴ郊外にあった専門商社の事務所の一角に机を置き、文字通り「体当たり」で営業して回りました。
苦労はしましたが、5年間の駐在員生活は、私の社会人としての原点ともいえる内容の濃いものでした。何よりも、試行錯誤しながら「営業のいろは」を学ぶことができたことは、会社人生における大きな糧となりました。
駐在員は私1人です。切削工具を車に積み込み、東海岸から西海岸へ、南はダラスやヒューストンまで、モテルに泊まりながら企業を回って売り込みを続けました。
車に積み込む商品を決め、飛び込みで会社を訪問、実際に目の前で操作してみせて性能をアピールする。気に入ってもらえたら商品を渡し、小切手を受け取る。販売計画や営業企画、在庫管理、代金回収など、商売の要素がすべて詰まっていました。
「Bloody Japanese tool!」(血まみれの日本の工具め!)
米国中西部は、保守色の強い地域です。太平洋戦争の記憶が色濃く残っている時代で、口汚く罵倒(ばとう)されることもありました。ただ、多くの企業は商売は商売として、製品の内容だけをフェアに評価してくれました。
私が売り込みに歩いたのは、自動車メーカーの下請けの下請けといった小さな会社が中心。経営者も当然、苦労人が多いわけです。「東洋の若者が頑張っているな」と、懐の深さを見せてくれたのかもしれませんね。
心がけたのは「誠心誠意」の営業です。5年間で全米に顧客網を作り、赴任時に5万ドルだった月間の売上高を80万ドルにまで拡大することに成功しました。
<本内容は、産経新聞大阪本社編集局経済部の許可を得て、記事内容を転載したものです。別途掲載の本ブログのポリシーに拘わらず、本内容については、全部または一部について一切の転載や二次利用をお断りします。>
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2007年10月05日 09:38
産経新聞「関西人国記」その1
松本です。
先日、インタビューを受けて、産経新聞にて関西在住の経済人として連載をしてもらいました。
大阪本社版夕刊での掲載ということでありましたので、お願いして、当ブログへの転載許可を頂きました。4回連載でしたので、本ブログにも写真以外はそのままで4回に分けて掲載していきますので、是非見て頂きたいと思います。
尚、インタビューは大阪本社編集局経済部の竹岡伸晃記者に務めて頂きました。
産経新聞大阪本社版夕刊 「関西人国記」【1】
都留先生との出会い 「トップの心得」教えられ
生まれたのは兵庫県洲本市です。淡路島の豊かな自然の中で、伸び伸びと育ちました。
実家は薬屋、本屋などの商売を営んでいました。姉が2人いるのですが、私は初めての男の子で両親に随分かわいがられました。そのせいか、わんぱくで少しわがままな子供だったようです。小学校の通知票に「公共心がなく、暗い」などとチクリと書かれていたくらいですから。
生活ががらりと変わったのは、中学に入学してからです。地元の県立洲本高校が昭和28年、春のセンバツ大会に優勝した影響で島内では野球熱が高まっていました。そのため中学では野球部に入部し、毎日練習に明け暮れていました。
野球を通じて学んだのが、目標を定め、集中して取り組むことの大切さです。同時に、チームで協力して勝つ醍醐味(だいごみ)も覚えました。これらの経験は、後に社会に出てからも大いに役立っています。
洲本高に進学後は、スパルタだった野球部ではなく柔道部に入りました。姉に、勉強にも力を入れるよう諭されたのが大きな理由です。高校時代は部活と学業を両立させ、希望通り一橋大への進学を果たしました。
根っからの運動好きのため、大学では体育会の陸上競技部に入りました。1年生の春の体育祭での活躍が目に留まったのか、先輩にスカウトされたのです。
大学では、やり投げの選手として関東インカレに出場するなど活躍しましたが、同時にかけがえのない出会いもありました。経済学者の都留重人先生との出会いです。
都留先生は戦前、米ハーバード大に留学し、戦後は第1回経済白書を執筆したり、一橋大学長になられた方なのですが、当時陸上部の部長を務めていました。生き方やものの考え方など多くの面で薫陶を受けました。中でも「リーダーとはかくあるべし」という、トップに立つべき人間の生き方を学ぶことができたのは大きかったですね。
例えば都留先生は部員一人一人に明確な目標を与え、それを常にチェックしていました。その言動は決してブレることがなく、目標が達成できたらわがことのように喜んでくれました。達成できなかった部員には、ビールもつがない、という厳しい一面もありましたが。
組織を率いる立場となった今、都留先生の目線を忘れることなく経営に当たっていこう、と常に肝に銘じています。
<本内容は、産経新聞大阪本社編集局経済部の許可を得て、記事内容を転載したものです。別途掲載の本ブログのポリシーに拘わらず、本内容については、全部または一部について一切の転載や二次利用をお断りします。>
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2007年10月02日 09:38
社長室の窓から <2>
前回にお話しした土佐堀川沿いの風景は、川向こうに、日本銀行大阪支店、住友生命のタワービルや朝日新聞、フェスティバルホール、遠くには関西電力本店ビルを望むことができます。歴史古く由緒正しい建造物から最新の高層ビルまで、大阪を代表するユニークな景観であります。
しかし、眺めているに連れて、一抹の寂しさが感じられるのは、いろいろに新しく立派なビルが再開発されて建築されていくのですが、ただの賃貸のオフィスビルが多く、新たな本社ビルは殆ど無い、言い換えれば本社機能の東京一極集中が激しいという事実を突きつけられたように思えるからです。
新聞記者からのインタビューでは、なぜ住友電工は東京に本社を移転しないのかと良く聞かれます。大阪に本社を置いていて何か良いことはあるのか?と。
良いことは残念ながらありません、と苦笑して答えていますが、しかし、悪いことがあるわけでもないのです。
あれだけ大きな米国でも、様々な大企業の本社は集中しているわけではなく、各州に分散しています。わたしがトップと親しくしている3Mなどは、本社はミネソタ州セントポールの郊外ですが、世界的な優良企業であることは誰もが認めるところです。
当社グループの関係会社は国内外併せて459社あり、そのうち256社が海外にて事業を行っています。売上も利益も海外の比率が年々大きくなっており、この傾向は強くなりこそすれ弱くなることはなく、グローバリゼーションの流れに沿って発展していかねばなりません。
ICT(Information & Communication Technology)の高度化を考えると、本部は日本(外国でも良いかも知れませんね)のどこにあってもいいということになります。どこでもいいということであれば400年強にわたり「住友」を育ててくれたこの大阪で報恩をしていくのが正しい姿だろうと思っているからです。
そう思って考えると、この景色には大いに不満があります。
良く言われることですが、大阪には「緑地」「公園」が少なく、川も改善しつつあるといっても汚れており、そして景観の片隅には、不法投棄されたゴミなどが・・・
今大阪では「美しい大阪をつくる100万本のバラの会」や「桜の会・平成の通り抜けプロジェクト」といった様々な新しい美しい大阪を生み出そうとする息吹が胎動しています。
それぞれの動きにもっと弾みを付けるためにも、わたしは大阪にハイドパーク、セントラルパークを作るべきだと考えています。訪問した様々な魅力的な都市を思い浮かべると、そこには数多くの公園が市民の憩いの場として親しまれているわけであり、大阪の既存の公園をもっと安全で魅力的な場所にすること、また、新たに大型の公園を出来れば複数作ることから、この歴史ある都市の再生は始まっていくのではないかと信じています。
松本正義|
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