2007年10月10日 08:47

産経新聞「関西人国記」その2


産経新聞大阪本社版夕刊「関西人国記」【2】
シカゴ駐在  「営業のいろは」大きな糧に


 物作りの仕事に携わりたい、関西に戻って住友系の企業で働きたい、という希望があり、就職先には住友電気工業を選びました。一橋大の陸上競技部の人脈で、役員を紹介してもらったのも理由の一つです。
  入社後は主力事業の一つ「粉末合金事業部」に配属されました。鉄などの金属を加工するための切削工具を作る部署で、自動車メーカーなどが主な取引先です。 住友電工では当時、自動車大国だった米国での拡販を目指しており、昭和48年、28歳の私が2代目駐在員としてシカゴに駐在することになりました。
  海外旅行も含め、初めての海外経験です。「気持ちさえあれば物は売れる。心意気で行け」といって送り出されたのですが、最初の2年間は言葉が分からず、頭が痛くなりましたね。シカゴ郊外にあった専門商社の事務所の一角に机を置き、文字通り「体当たり」で営業して回りました。
 苦労はしましたが、5年間の駐在員生活は、私の社会人としての原点ともいえる内容の濃いものでした。何よりも、試行錯誤しながら「営業のいろは」を学ぶことができたことは、会社人生における大きな糧となりました。
 駐在員は私1人です。切削工具を車に積み込み、東海岸から西海岸へ、南はダラスやヒューストンまで、モテルに泊まりながら企業を回って売り込みを続けました。
 車に積み込む商品を決め、飛び込みで会社を訪問、実際に目の前で操作してみせて性能をアピールする。気に入ってもらえたら商品を渡し、小切手を受け取る。販売計画や営業企画、在庫管理、代金回収など、商売の要素がすべて詰まっていました。
 「Bloody Japanese tool!」(血まみれの日本の工具め!)
 米国中西部は、保守色の強い地域です。太平洋戦争の記憶が色濃く残っている時代で、口汚く罵倒(ばとう)されることもありました。ただ、多くの企業は商売は商売として、製品の内容だけをフェアに評価してくれました。
 私が売り込みに歩いたのは、自動車メーカーの下請けの下請けといった小さな会社が中心。経営者も当然、苦労人が多いわけです。「東洋の若者が頑張っているな」と、懐の深さを見せてくれたのかもしれませんね。
 心がけたのは「誠心誠意」の営業です。5年間で全米に顧客網を作り、赴任時に5万ドルだった月間の売上高を80万ドルにまで拡大することに成功しました。
 

<本内容は、産経新聞大阪本社編集局経済部の許可を得て、記事内容を転載したものです。別途掲載の本ブログのポリシーに拘わらず、本内容については、全部または一部について一切の転載や二次利用をお断りします。>


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コメント一覧 (1)

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「Bloody Japanese tools」と言われたとき、松本社長はどう応じられたのか、ちょっと気になります。文化の壁や歴史の壁を超えて商売を広げばならない、という意味では、現在の中国ビジネスにも通じるかもしれませんね。

投稿者:匿名  2007年10月22日 18:11

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松本正義Profile

住友電気工業(株)
社長 松本正義


1944年生まれ、兵庫県出身。
1967年住友電工入社。中部支社長、常務取締役、専務取締役を経て2004年6月社長就任。

趣味はジョギング、読書、絵画鑑賞など。中学時代は野球、高校では柔道、大学では陸上競技のやり投げ選手としてインターカレッジ出場経験もあるスポーツマン。

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