2010年07月15日 09:15

TV収録「戦士の逸品」


 先週、TV撮影がありました。番組は、TV東京(毎週木曜日)、BSジャパン(毎週火曜日)の夜10時54分からの数分間、放送の「戦士の逸品」、関東地区の方は、ご存知の方もおられると思いますが、俳優の北村一輝さんがナレーターをしています。


 私が思い入れのあるものとして指定した逸品は、大阪本社の私の部屋にあるモノでしたので、取材は私の部屋で行いました。さすがに、ナレーターの北村さんは来ませんでしたが、TV局からは3名、お越しになりました。TV出演は、これまで何度も受けてきましたので、事前準備もそこそこに、いつも通りの自然体でお話できたのではないでしょうか。


 放映時間は、数分程度のものですが、実際の取材は、打ち合わせを入れて約2時間近くかかりました。静止したモノであっても、何度もアングルを変え、最高の映像を求めるTV局の方の真剣な姿には、改めて感心させられました。


 また、途中、事務所フロアでの撮影シーンもあり、私やカメラを携えた取材の方々が突然現れ、社員の皆さんには、驚いた方もいたようですが、実際に放映されるのは、ほんの一部、映った方は宝くじにあたったようなものと考えてください。


 放送予定は8月中旬で、決定しましたら、皆さんにもご紹介したいと思います。私もどんなものができるのか楽しみにしておりますが、皆さんも都合のつく方はご覧になってください。 


■TV東京「戦士の逸品」ホームページ 
http://www.tv-tokyo.co.jp/senshi/

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2009年09月14日 08:51

「今、日本に問われていること」


松本です。
先日、インタビューを受けて、関西経済連合会が発行する「経済人」の9月号に記事が掲載されました。お願いして、当ブログへの転載許可を頂きましたので、是非見て頂きたいと思います。尚、インタビューは関西経済連合会秘書広報部主任岡田真紀さんに務めて頂きました。


関西経済連合会発行「経済人」9月号 談論風発
「今、日本に問われていること」


 日本の各企業はグローバリゼーションを意識した事業展開を行っています。当社も海外での売り上げが全体の約4割を占めています。このような状態が極端に進めば、各社とも本社を日本に置いておく必要性が薄れてきます。私は、当社の本拠地は日本、それも住友の創業以来約400年強恩恵を受けてきた大阪に置き、この地に貢献すべきだと考えていますが、各社の考え方はさまざまです。企業が日本に留まるかどうかは、各経営者の日本に対する思いの強さによるところが大きく、グローバリゼーションが進むと日本の経済地盤がぜい弱になる可能性があるのです。道州制を導入することがぜい弱性を防ぐ一つの政策になると思いますが、付加価値を生む企業が地域を愛し、自らどのように対応していくのかがポイントとなるのではないでしょうか。
 では、今後、日本や日本企業はどのような道を取るべきなのでしょうか。ご存じのとおり、日本には天然資源がほとんどなく、最大の武器は、世界に冠たる技術や製品、そしてそれを生み出す人材です。人材は日本最大の資源ともいわれています。人材の質を保ち、常に活性化するための投資は惜しむことなく続けなければなりません。そうして日本のR&Dや生産技術を強化し、海外の工場に横展開していくことが必要です。このサイクルを永続させるためにも、「政治経済や経営を語る前にまずは人間教育」というのが私の持論です。
 現代の日本は「金がすべて」という拝金主義の時代を経て、反省期に入る一方、格差が広がっています。''歴史は繰り返す''とはよくいったもので、産業革命華やかなりし英国のビクトリア朝は今日の日本よりもひどい状況だったようです。新興産業家は労働者から搾取することで富を築き、労働者は劣悪な条件での労働を強いられていました。当時の思想家で歴史家のトーマス・カーライルはこれを憂慮し、著書『過去と現在』の中で、営利至上主義の弊害を排し、新しい人間愛に基づいた経営を行う経営者像、"captains of industry"を提唱しました。一言で言うなら「経営騎士道」を説いたのです。真のリーダーとは私事がなく、コミュニティーに尽くすものであり、それこそがエリートだと書いています。近年、コミュニティーを重要なステークホルダーととらえ、そこにどう貢献するかを考える経営者が増えてきましたが、すでにあの時代、同じことをカーライルは考えていたのです。さらに、世界はエリートが導くべきだとも述べています。
 昔の日本には江戸時代の藩校や戦前の旧制高等学校、帝国大学など一種のエリート教育のようなものがありました。しかし、''平等であること''に重きを置く今の日本でエリートを育てるのは至難の業です。しかも本来エリートの器でない人間にエリート教育をすると、組織にも本人にも不幸な結果を招いてしまいます。とはいえ、難しいと言ってばかりはいられません。
 歴史がわれわれに教訓として伝えていること、それは世の中が根本から変革していく時代には、困難をブレークスルーする迫力と勇気を備え、人とは違った角度から物事を発想できる「気骨ある異端児」が世界や組織をリードすべきだということなのです。時代が急激に変化している今、組織を正しい方向へ導ける人材を育てなければ、乗り切ることはできません。その器量をもつ人材を見極め、真のリーダーとして育てられるか、これこそが今の日本に問われていることではないでしょうか。


社団法人関西経済連合会のWebサイトからもご覧になることができます。
http://www.kankeiren.or.jp/keizaijin/cat113/

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2008年06月27日 09:21

笑いの真意(PART II)


 外は今日も時雨ながら、中では紅茶を手に暖炉の前で百家争鳴。
 今振り返ると、彼-サイモン・ペイトン氏-は、グローバリゼイションの裏付けとなっているアングロ・サクソン文化の本質を驚くほど鋭く言い当てていた。英国の有識者らしく静かに、しかし歴史の教訓も交え的確にキーワーズを列挙していた。
 曰く、Freedom (自由)、Fairness (公正)、Transparency (透明度)、 Flexibility(柔軟性)、Competition(競争)がその本質であり、この文化の中で伍していく組織は、Leaner (無駄のない)、Tighter (筋肉質の)、Smarter(機敏な)、Faster (迅速な)でなくてはならないこと。また、リーダーに要求される資質は、Listening (耳を傾け)、Feeling (心で感じ)、Touching (実行する)で、それらを通して資源(人・物・金)の最適配分を行い成果を挙げるのが務めとも言った。日本的経営が反省期にある現在、彼の論を思い起こすと、今にして「成程」と思うところが多々あり感心もする。


 先般、初時雨ののち彼が来日、「有朋自遠方来、不亦楽乎」と一席を設けた。話題は経済から政治へと、相変わらず強かに論陣を張っていた。当然のように「アングロ・サクソン論」、「日本論」になったが、昔の話を思い出したのか、突然静かになり、自信満々、にやりと笑って私の方を見て言った。
「歴史は繰り返すから、心配ないよ」と。
 次回、私は彼ほどうまく言えるだろうか。


<本内容は、2000.01.17発行の鉄鋼新聞に寄稿し、「談論」コーナーに掲載されたものです。発表時より、改行、句読点等、一部改変致しております。>

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2008年06月24日 11:04

笑いの真意(PART I)


 ふと気づくといれたばかりの紅茶が冷めていた。「おやっ」と思い、窓外に目をやれば時雨れてきたようだ。「紅茶」「時雨」とくれば英国の冬、そこには何よりも「暖炉」がよく似合う。そして、この「連想」は、時の流れに逆らって、忘れ得ぬ出会いに辿り着いた。


 時は1985年。所はロンドン市内サセックス公園に面したIWCC(国際銅加工業者協議会)本部。当時、私はこの地に着任し、IWCCの日本の窓口として活動を開始したばかり。その協議会の専務理事サイモン・ペイトン氏との出会いが、以後7年間の在英生活をより充実させ、アングロ・サクソン文化を深く考えさせられる機会となった。
 その時期は、まさに”Japan as No. 1”にあたり、日の出の勢いで日本的経営哲学が欧米を席捲し、日本文化に基づいた経営手法は今で言う「ディファクト・スタンダード」になりかけた時代でもあった。
 彼は、名門セント・アンドリュース大の卒業生で、1984年に金属加工業界の論客としてIWCCに迎えられた逸材。世界組織の役員として、極東の経済大国日本の文化に関心と理解を深める必要もあり、お互いの望みが一致。同世代の気安さもあって、仕事を終えた後に本部に集まり、同好の士と共に文化論に花を咲かせたものだ。


<本内容は、2000.01.17発行の鉄鋼新聞に寄稿し、「談論」コーナーに掲載されたものです。発表時より、改行、句読点等、一部改変致しております。>

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2008年01月11日 09:05

ゴルフより勉強か?


 先日(7日付)の日刊工業新聞に、わたしがインタビューを受けたときのこぼれ話が掲載されておりました。
 「ゴルフより勉強」という見出しが掲載されておりますが、本当は両者の二者択一ということが言いたかったわけではありません。
 とは言え、書かれていることは、わたしが喋ったそのままであり、勉強しない経営者に対して、少なからず警鐘を鳴らしたつもりではあります。


 トップになればなるほど、余裕時間は少なくなります。わたしも往々にして分刻みのスケジュールに追われています。
 それでも、経営に携わる立場では、最良のそして最新の情報を我がものにしておくことが必要であり、ある種の研鑽に当てる時間を持つことが大切です。
 この年末年始のようにまとまって時間がとれるときはよいのですが、通常の日程ですと、早朝や深夜に時間をとることをしない限りは、週末が頼りです。


北海道旅行の話の時に書きましたように、わたしはゴルフはやりますし、特に気のおけない友人とわいわい騒いで行うゴルフは大好きです。
 土日両日ともゴルフという週は勿論ありますし、ひどい時は場所を大きく離れて連日ということもあります。


 しかしながら、そういうスケジュールに甘えることは禁物と肝に銘じており、古典に親しんだり、好きな絵画鑑賞を楽しんだり、語学の習得に力を入れたりするような知的活動の時間をできる限り持ちたいと思っています。


 欧米の経営者は、多様な方面に関心を示し、時間を自己啓発に当てていると話したのは本当のことです。日本の経営者も、今後は世界単一市場即ちグローバリゼーションの流れの中で欧米の経営者と互角にお付き合いできる能力を養う努力を続けていかなければいけません。それこそ世界から取り残されてしまうことにならないようにと新年早々自戒しています。

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2007年11月20日 09:05

明日に向かって


 以前ある雑誌に寄稿した小文ですが、皆さんのなにかの参考になればと思います。このブログに転載しておきます。


 日本企業が自己責任経営の第一歩を踏み出したのは、先進諸国が1985年に調印したプラザ合意を契機とする。日本的経営手法は世界の産業界を震憾させ、停滞する米国経済を尻目に「Japan as No.1」との最高の評価を受け「もはや欧米に学ぶものなし」と豪語する経営者もおり、世界レベルで認知される企業も散見され、日本の経営システムが恰も「世界基準」の様相を呈した。
90年代に入りバブルがはじけ、さしもの日本も質量ともにアングロアメリカ経済にその座を明け渡し、暗い閉塞状態に突入、長きに亘ること十年余、東南アジア、東アジア諸国の勢いに助けられ、今漸くトンネルの先に光明が見えてきた。
 その間完膚なきまで日本経営論は叩かれ、国際会計基準に集約されるアングロアメリカ型経営に宗旨替えをする企業を輩出してきた。85年以降の流れを観るにつけ戦後の壊滅状態の日本をGDP500兆円の経済大国に仕上げてきた国民の原動力をどこに求めるのか、米ソのデタントに始まるイデオロギー世界から市場経済指向世界への転換が繁栄のインフラを与えたことに疑問の余地はないが、潮流に舵をきる日本人の深層に脈々と流れる精神的特性を明確に意識する時がきていると思う。
 「21世紀は日本の世紀」と言い切った米国の未来学者ハーマンカーン博士が1968年京都産業大学の招きで来日。講演において、日本人の精神的本質を的確かつ客観的に指摘した。復興の強い意志をもった日本人像と飽食の時を経て変貌していったそれが比較でき興味深い。博士が観察した当時の日本人像を要約する。日本は「進取の気性に富み」「旺盛な冒険心に富み」「革新的能力に富み」「教育水準が高く向上心に富み」「目標達成指向が強く」「企業の成功と国家の栄光の一体意識が強い」と分析した。復興を信じ陰日向なく努力し、奇跡的な復興を成し遂げた当時の日本人の精神構造が明確に語られている。


 以上、今日荒波の如く押し寄せる異文化との大競争時代の中で、失ってはいけない「アイデンティティ」につきカーン博士の言を活用させて頂いた。何かのご参考になれば幸甚です。


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2007年10月16日 10:04

産経新聞「関西人国記」その4


産経新聞大阪本社版夕刊「関西人国記」【4】 
住友事業精神  求心力高め会社を一つに


 「ちょっと来てくれ。昼飯でも食おうか」
 平成16年4月、当時の岡山紀男社長(現会長)にこう声をかけられました。
 何だろう…と思いながら社長室に行くと、「私はもう辞めるから、次は君がやってくれ」。
 1年前に専務になったばかりです。ちょうど海外出張が入っていたので「少し考えさせてください」と保留しました。
 ただ、「逃げるわけにはいかない」という覚悟はありました。不安はありましたが、腹を決めて帰国後、「引き受けさせていただきます」と答えました。
 社長に就任した16年6月は、ITバブル崩壊の余韻が色濃く残っていた時期です。光ファイバーなど情報通信事業に注力し過ぎていたわが社は、15年3月期に最終赤字に転落。分社化や大規模な配置換えなど事業の構造改革を急いでいました。
 これらは当然必要な改革だったのですが、会社の社員に対する求心力が低下するという“負の結果”ももたらしました。
 「このままでは会社がバラバラになる」
 社長になった私は、強い危機感を抱きました。もう一度会社が一つにまとまるにはどうすればいいのか。こう考えて打ち出した全社的な目標が「グロリアス エクセレント カンパニー」構想です。
 構想では、売上高や利益といった業績の数値目標、そして1つの事業に偏らず、主力5事業でバランス良く稼ぐ「ポートフォリオ」経営を示しました。
 それに加え、社員の心のよりどころとして「住友事業精神」を掲げたのが大きな特徴です。
 住友事業精神は、住友家の家祖、住友政友が記した商いの心得「文殊院旨意書(しいがき)」に発するもので、400年にわたり脈々と受け継がれてきました。「信用を重んじる」「浮利を追わない」「技術を重視」「人材を尊重する」というのがその要諦です。
 この精神を求心力の源にしようと考えました。17年には新たな研修制度「SEIユニバーシティ」をスタートさせ、社員への浸透を図っています。私自身もことあるごとに、自分の言葉で社員に語りかけています。
 最近では社員の意識も変わりつつあり、まとまりが出てきたように思います。「住友電工が好きだ」という社員が増えてきたのはうれしいですね。
 売上高の拡大、新製品の開発、販売強化など、競争が激しさを増す中で、やるべきことはまだたくさんあります。
 陸上でマスターズ選手権に出場したい、社会貢献的な活動もしたい…などと個人的に挑戦したいこともありますが、実現はもう少し先になりそうですね。
(終わり)

                    
<本内容は、産経新聞大阪本社編集局経済部の許可を得て、記事内容を転載したものです。別途掲載の本ブログのポリシーに拘わらず、本内容については、全部または一部について一切の転載や二次利用をお断りします。>


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2007年10月12日 09:19

産経新聞「関西人国記」その3


産経新聞大阪本社版夕刊「関西人国記」【3】
事業の立て直し  開発力強化しシェア拡大


 昭和53年に米国駐在から帰国した後は、切削工具を扱う粉末合金事業部で海外の販売網整備に力を入れました。
 当時は主に商社と組んで販売していたのですが、それでは思い切った事業戦略が立てられない。顧客のニーズを直接吸い上げ、営業や製造戦略にまで生かすには、自社の販売網を持つことが不可欠です。そう考え、帰国後すぐに計画案を作り、上司に提言しました。
 ただ、人繰りやコストなど、企業としてはリスクを伴う決断となります。案の定二の足を踏まれ、「駐在員は帰国後、2、3回程度は何かしら提案してくるものだ」と言われてしまいました。
 「本気ではない」と思われたんでしょうね。ただ、スウェーデンのサンドビック社などライバルは本気で海外強化に乗り出しており、「このままでは太刀打ちできない」という強い危機感がありました。信念を曲げずに提言し続けた結果、何とか実現に向けて動き始めました。
 その後、7年間のロンドン駐在を経て、平成4年、自動車用の組み電線「ワイヤーハーネス」を扱う自動車企画部長に就任しました。
 ワイヤーハーネスは自動車の情報系統や電気系統を担う重要な部材で、関連事業はわが社の稼ぎ頭になっています。ただ、私が担当になったころは「ローテク製品」として重視されておらず、世界シェアも7~8%と低迷。「リストラの対象」と明言されたことすらありました。
 ただ、日本の自動車メーカーが世界で販売を拡大しようとしていた時代です。やりようによっては必ず伸びる、という確信はありました。
 では、事業をどう立て直し、拡大していくのか。技術開発力の強化とM&A(企業の合併・買収)によるシェア拡大が欠かせないと考えました。
 自動車のハイテク化は著しく、それを支えるワイヤーハーネスにも、より細く、より多くの情報が流れる高性能な製品が求められていました。そのため社内の猛反対を押し切り、平成7年に「ハーネス総合技術研究所」(現オートネットワーク技術研究所)を設立しました。
 一方、M&Aでは、国内外のライバル社などを積極的に買収し、販路や市場の拡大を進めました。厳しいコスト競争に打ち勝つには、販売量の確保が必要だからです。
 これらの施策は見事に当たり、ワイヤーハーネスの世界シェアは現在約21%。平成24年までに25%まで引き上げたいと考えています。

 
<本内容は、産経新聞大阪本社編集局経済部の許可を得て、記事内容を転載したものです。別途掲載の本ブログのポリシーに拘わらず、本内容については、全部または一部について一切の転載や二次利用をお断りします。>


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2007年10月10日 08:47

産経新聞「関西人国記」その2


産経新聞大阪本社版夕刊「関西人国記」【2】
シカゴ駐在  「営業のいろは」大きな糧に


 物作りの仕事に携わりたい、関西に戻って住友系の企業で働きたい、という希望があり、就職先には住友電気工業を選びました。一橋大の陸上競技部の人脈で、役員を紹介してもらったのも理由の一つです。
  入社後は主力事業の一つ「粉末合金事業部」に配属されました。鉄などの金属を加工するための切削工具を作る部署で、自動車メーカーなどが主な取引先です。 住友電工では当時、自動車大国だった米国での拡販を目指しており、昭和48年、28歳の私が2代目駐在員としてシカゴに駐在することになりました。
  海外旅行も含め、初めての海外経験です。「気持ちさえあれば物は売れる。心意気で行け」といって送り出されたのですが、最初の2年間は言葉が分からず、頭が痛くなりましたね。シカゴ郊外にあった専門商社の事務所の一角に机を置き、文字通り「体当たり」で営業して回りました。
 苦労はしましたが、5年間の駐在員生活は、私の社会人としての原点ともいえる内容の濃いものでした。何よりも、試行錯誤しながら「営業のいろは」を学ぶことができたことは、会社人生における大きな糧となりました。
 駐在員は私1人です。切削工具を車に積み込み、東海岸から西海岸へ、南はダラスやヒューストンまで、モテルに泊まりながら企業を回って売り込みを続けました。
 車に積み込む商品を決め、飛び込みで会社を訪問、実際に目の前で操作してみせて性能をアピールする。気に入ってもらえたら商品を渡し、小切手を受け取る。販売計画や営業企画、在庫管理、代金回収など、商売の要素がすべて詰まっていました。
 「Bloody Japanese tool!」(血まみれの日本の工具め!)
 米国中西部は、保守色の強い地域です。太平洋戦争の記憶が色濃く残っている時代で、口汚く罵倒(ばとう)されることもありました。ただ、多くの企業は商売は商売として、製品の内容だけをフェアに評価してくれました。
 私が売り込みに歩いたのは、自動車メーカーの下請けの下請けといった小さな会社が中心。経営者も当然、苦労人が多いわけです。「東洋の若者が頑張っているな」と、懐の深さを見せてくれたのかもしれませんね。
 心がけたのは「誠心誠意」の営業です。5年間で全米に顧客網を作り、赴任時に5万ドルだった月間の売上高を80万ドルにまで拡大することに成功しました。
 

<本内容は、産経新聞大阪本社編集局経済部の許可を得て、記事内容を転載したものです。別途掲載の本ブログのポリシーに拘わらず、本内容については、全部または一部について一切の転載や二次利用をお断りします。>


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2007年10月05日 09:38

産経新聞「関西人国記」その1


 松本です。
先日、インタビューを受けて、産経新聞にて関西在住の経済人として連載をしてもらいました。
 大阪本社版夕刊での掲載ということでありましたので、お願いして、当ブログへの転載許可を頂きました。4回連載でしたので、本ブログにも写真以外はそのままで4回に分けて掲載していきますので、是非見て頂きたいと思います。
 尚、インタビューは大阪本社編集局経済部の竹岡伸晃記者に務めて頂きました。


産経新聞大阪本社版夕刊 「関西人国記」【1】
都留先生との出会い  「トップの心得」教えられ

 
 生まれたのは兵庫県洲本市です。淡路島の豊かな自然の中で、伸び伸びと育ちました。
 実家は薬屋、本屋などの商売を営んでいました。姉が2人いるのですが、私は初めての男の子で両親に随分かわいがられました。そのせいか、わんぱくで少しわがままな子供だったようです。小学校の通知票に「公共心がなく、暗い」などとチクリと書かれていたくらいですから。
 生活ががらりと変わったのは、中学に入学してからです。地元の県立洲本高校が昭和28年、春のセンバツ大会に優勝した影響で島内では野球熱が高まっていました。そのため中学では野球部に入部し、毎日練習に明け暮れていました。
 野球を通じて学んだのが、目標を定め、集中して取り組むことの大切さです。同時に、チームで協力して勝つ醍醐味(だいごみ)も覚えました。これらの経験は、後に社会に出てからも大いに役立っています。
 洲本高に進学後は、スパルタだった野球部ではなく柔道部に入りました。姉に、勉強にも力を入れるよう諭されたのが大きな理由です。高校時代は部活と学業を両立させ、希望通り一橋大への進学を果たしました。
 根っからの運動好きのため、大学では体育会の陸上競技部に入りました。1年生の春の体育祭での活躍が目に留まったのか、先輩にスカウトされたのです。
 大学では、やり投げの選手として関東インカレに出場するなど活躍しましたが、同時にかけがえのない出会いもありました。経済学者の都留重人先生との出会いです。
  都留先生は戦前、米ハーバード大に留学し、戦後は第1回経済白書を執筆したり、一橋大学長になられた方なのですが、当時陸上部の部長を務めていました。生き方やものの考え方など多くの面で薫陶を受けました。中でも「リーダーとはかくあるべし」という、トップに立つべき人間の生き方を学ぶことができたのは大きかったですね。
 例えば都留先生は部員一人一人に明確な目標を与え、それを常にチェックしていました。その言動は決してブレることがなく、目標が達成できたらわがことのように喜んでくれました。達成できなかった部員には、ビールもつがない、という厳しい一面もありましたが。
 組織を率いる立場となった今、都留先生の目線を忘れることなく経営に当たっていこう、と常に肝に銘じています。

<本内容は、産経新聞大阪本社編集局経済部の許可を得て、記事内容を転載したものです。別途掲載の本ブログのポリシーに拘わらず、本内容については、全部または一部について一切の転載や二次利用をお断りします。>


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松本正義Profile

住友電気工業(株)
社長 松本正義


1944年生まれ、兵庫県出身。
1967年住友電工入社。中部支社長、常務取締役、専務取締役を経て2004年6月社長就任。

趣味はジョギング、読書、絵画鑑賞など。中学時代は野球、高校では柔道、大学では陸上競技のやり投げ選手としてインターカレッジ出場経験もあるスポーツマン。

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