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トップメッセージ 2015年09月号(Vol.456)

社長 松本正義

プラザ合意から30年

今年は戦後70年でした。敗戦のどん底から再スタートした日本経済は、1ドル=360円の固定相場制の恩恵を享受して成長し、20年余りで国民総生産(GNP)を世界第2位にまで押し上げました。日本企業は、ニクソン・ショック、円切り上げ、変動相場制への移行、2度の石油ショックなどの危機的な試練も、徹底した合理化や省エネ努力で何とか克服し、1980年台にはジャパン・アズ・ナンバーワンとの評価を受けるまでに至りました。

そんな中、先進5カ国(G5)がニューヨークのプラザホテルで開いた会合で、ドル高是正のために政策協調するという合意がなされました。1985年9月のことです。この後、金融緩和など円高対策が空前の好況を生みだしたのも束の間、90年代に入って景気が急降下した時、私たちはそれがバブルであったことを知りました。

バブルの崩壊により日本経済は長いトンネルに突入し、製造業は生き残りをかけて海外への生産移転を加速させるなど、日本企業はグローバリゼーションという外海の荒波に直接さらされることになりました。今にして思えば、日本企業が真の意味で自己責任経営の第一歩を踏み出し、自己変革に挑戦する契機となったのが「プラザ合意」だった、ともいえるでしょう。

「プラザ合意」の年にロンドンに赴任した私は、その後数年の間で、ベルリンの壁の崩壊、東欧諸国の民主化など、世界の政治経済がダイナミックに変貌していくのを間近で目撃しました。ソ連が崩壊したときには、いよいよ世界は「見えざる手」を基本理念とする資本主義へと収斂していくものと思いましたが、案に相違して、冷戦体制が覆い隠していた厄介な問題がパンドーラの箱から飛び出していき、いまも世界中で火の手を上げています。

歴史的な評価は専門家に任せるとしても、「プラザ合意」は第二次大戦後の世界の政治経済の大きな転換点の一つであったということは間違いなさそうです。

社長 松本 正義


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